私が思うに、夫婦ほど、共感につつまれた至福の空間で暮らせる関係はないと思います。
まったく別々に育った2人が、数十年の時間を経てめぐり会えたことが不思議なくらいで、多くの偶然に恵まれたような気がしますし、
もし、めぐり逢えていなかったらと考えると、恐怖さえ感じます。
私にとって女房は、ただの「妻」ではありません。
彼女は、恋人であり、親友であり、姉であり妹であり、母のようでもあり、そして敵の多い世の中で生き残るための戦友であり、経済活動を共にする運命共同体と言えます。
人生を長く歩む中で、この関係は日々、形を変え、重なり合い、深みを増していくのです。
タイトルでは、それをユートピアと喩えました。
ユートピアとは、一言では「理想郷」で、現実の社会に不満をもつ人が夢想する理想的な楽土です。
恋人として
時に彼女は、初めて出会ったあの日のように、私の胸をときめかせます。
「もう何十年も一緒にいるのに」と笑われるかもしれませんが、愛情とは消えるものではなく、形を変えて残るものです。
「ねぇ、ちょっと」と話しかけられると、その一瞬に、「!」と男女を意識することがあります。
親友として
長い人生では、誰にも言えない苦しみや、情けない失敗もある。
彼女の前では過剰に気取る必要はありません。
弱さも愚かさも包み隠さず見せられる、そのままの自分でいられる――そんな存在が、どれほど心を支えてくれるか。
夫婦とは、「絶対的な味方・同士」になっていく関係といえるかもしれません。
戦友として
世の中は争いだらけ、今日の味方は明日の敵、気を置けない関係ばかりの生活、人生は平坦ではありません。
仕事の苦境、親の介護、子供の病気、親族の不幸、その他不測の事態――どんな時にも、肩を並べて事にあたるしかなかった。
互いに励まし合い、支え合ううちに、愛情は絆に変わり、絆は信頼に変わっていきます。
戦友のように、背中を預けられる相手がいる。いなかったら戦うことはできず、どうなっていたことか。
運命共同体としての自覚
年齢を重ねるほどに、夫婦は「二人で一つの生命体」のようになります。
片方が倒れれば、もう一方が支える。
片方が笑えば、もう一方も笑顔になる。
経済も健康も、未来も――全てを共有して生きることで、人生に「孤独」はなくなり、「共創」の意識が当たり前になりました。
結婚の本当の価値とは
若い頃は「愛している」だけで十分だった。
しかし、歳を重ねて気づくのは、愛よりも“信頼”や“覚悟”こそが、夫婦を強くするということ。
結婚とは、「恋が終わる」ことではなく、
“恋が絆に昇華する”人生の成熟過程の段階で、目的地ではなく経由地。最終目的地は、まだまだ探索中。
おわりに
「一人の方が気楽だ」と言う考え方は、否定できません。
一人の気楽さを貫くなら、無難にそこそこの幸せが手に入ると思います。
パートナーとの共生は、自分一人では絶対につかめない幸せを得られるチャンスを手にできます。
夫婦の時間を重ねていく中でしか得られない夫婦の軌跡は、一人では歩くことがない世界。
喜びも悲しみも分かち合える相手がいる「共感につつまれた生活」をあきらめるのは、もったいない選択と感じます。
夫婦とは、時に面倒で、時に愛おしく、そしてなによりも、生きる力をくれる関係なのです。
人生の終盤に、「ありがとう」と心から言える相手がいる。
それだけで、幸福だと思うのです。
パートナー探しに定年はない:中高年の婚活は、年齢を理由にしないことからスタートです。

40代で結婚した50代夫婦(もうすぐ60)。夫婦共通の趣味は、料理と酒。筋トレも少し。2人ともに友人に独身が多く、紹介したい気持ちはあるが、具体的には実現せず。友人たちに婚活をおすすめする気持ちでブログを作成することに。このブログを読んだ方が積極的に婚活し、パートナーが見つかったらウレシイです。愛知県在住。

